香川県高松市、鬼が無いと書いて鬼無(きなし)。鬼ヶ島(女木島)で桃太郎に負けた鬼たちをこの地のセリ塚で再び退治し、その鬼たちを供養した塚がこの『鬼ヶ塚』と伝わっています。この鬼ヶ塚の桜が見事で、とても美しいのでオススメです。

Kinashi, written ‘no ogres’, is located in Takamatsu City, Kagawa Prefecture. Onigazuka is said to be the mound where the demons defeated by Momotaro on Onigashima (Megijima island) were conquered again at the Seri Mound here and memorial services were held for them. The cherry blossoms at Onigazuka are magnificent and very beautiful, and are highly recommended.

ちなみに、鬼無(きなし)という地名は「木が無い」が「きなし」「けなし」が転じて「鬼無(きなし)」と一説には言われています。1914年(大正3年)に内閣総理大臣・大隈重信さんが鬼無駅前で演説をしました。鬼無の地名を褒め称えたその言葉が、当時24歳だった小学校の先生、橋本仙太郎さんの心に響き、郷土研究を始めました。16年後、1930年(昭和5年)、40歳の時にその論文『童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無』を発表し、翌年、女木島の人口洞窟を発見しました。そのため、香川県内の鬼無や女木島には桃太郎に関する伝承が多く伝わっています。

In 1914, Prime Minister Shigenobu Okuma delivered a speech in front of Kinashi Station. Sixteen years later, in 1930, at the age of 40, he published his thesis ‘Kinashi in Sanuki is the birthplace of the fairy tale Momotaro’, and the following year he discovered an artificial cave on Megijima island, Seto Inland Sea. As a result, there are many legends about Momotaro in Oninashi and Megijima in Kagawa Prefecture.

鬼ヶ塚
住所:香川県高松市鬼無町鬼無228 [Google Map]

Onigazuka
Address: 228 Oninashi, Oninashi Town, Takamatsu City, Kagawa Prefecture. [Google Map]

2022/04/03撮影


鬼ヶ塚の言い伝え
鬼ヶ島の戦いで桃太郎に負けた鬼たちはこの地のセリ塚でもう一度戦いをしてまた負けてしまいました。その鬼たちをほおむり供養したのが鬼ヶ塚です。平和になったこの地は鬼無の里と呼ばれるようになりました。2000年(平成12年)8月 鬼ヶ塚保存会

Legend of Onigazuka mound
The demons who were defeated by Momotaro in the Battle of Onigashima fought another battle at Seri Mound here and were defeated again. Onigazuka is where the demons were buried and memorial services were held. The peaceful area is now known as Kinashi-no-Sato (Onigazuka Preservation Society).



鬼無の山の中腹から屋島方面を望む

鬼ヶ塚
住所:香川県高松市鬼無町鬼無228 [Google Map]

Onigazuka
Address: 228 Oninashi, Oninashi Town, Takamatsu City, Kagawa Prefecture. [Google Map]

鬼無 – Wikipedia

この鬼無地区は桃太郎伝説の地の1つであり、南西部の袋山山麓には熊野権現桃太郎神社が存在する。鬼無地区の桃太郎伝説、すなわち高松の桃太郎伝説が知られる所以になったのは、当時上笠居小学校(現・高松市立鬼無小学校)の訓導(教諭)であった橋本仙太郎が1930年(昭和5年)、四国民報(現・四国新聞)に掲載した論文『童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無』に始まる。

彼は24歳であった1914年(大正3年)秋に、当時の内閣総理大臣兼外務大臣であった大隈重信が鬼無駅で行った演説「この駅はオニナシかと思えば、キナシと読むそうだ。なかなか面白い地名だと思う。とにかく、村人諸氏は地名のそれのように何とぞ心の中に鬼が無いように、個人も団体も皆ますます向上発展に努力されたい…」を聞いて郷土の歴史に興味を持ち、郷土研究を始めた。その後、古文書研究などから桃太郎伝説は実話で、鬼無という地名からその場所が現在の鬼無地区であることをまとめ、演説を聴いてから16年後、彼が40歳の時にその論文を発表するに至った。

その論文によると
・桃太郎:第七代孝霊天皇(前342 – 215年)の第八皇子である稚武彦命。
・鬼:高松市沖にある女木島を本拠としていた海賊。
・お爺さん・お婆さん:安徳(鬼無町)の大古家(おおふるや)に住んでいた宇佐津彦命の後裔。
 お婆さんは実は年頃の美しい娘である。
 2人は海賊を恐れ、約1.5km内陸にある神高(かんだか、鬼無町山口)に避難し、「やらい屋敷」と呼んだ。
・犬・猿・雉:実在した勇士達で「犬」は岡山県犬島の住人、「猿」は香川県綾川町陶の陶芸師猿王(さるおう)、「雉」は鬼無町雉ヶ谷の住人。
・お爺さんが芝刈りに行った山:高松市香西北町の「芝山」
・お婆さんが洗濯に行った川:本津川

当時、鬼達は周辺各地に出没して非道の悪事を重ね、住民は恐怖の毎日を過ごしていた。その頃、地方開拓のためこのあたりに立ち寄った桃太郎は本津川で洗濯をしていた美しい娘(お婆さん)に一目惚れした。そこで、悪事を重ねる鬼の話を知ると2人の住む「神高」に養子入りして、鬼退治のため援軍を募り、犬・猿・雉をはじめ多くの強力な軍勢を仲間にした。桃太郎はお婆さんの作った「黍団子」を腰に鬼の本拠である女木島へ出撃し激戦の末、大勝利を収めて無事凱旋した。後日、鬼は桃太郎軍に逆襲してきたが、「せり塚」という場所で一人残らず返り討ちに遭い、全滅させられた。その鬼たちの屍を埋めたのが、今の「鬼ヶ塚」である。そこでこの里を「鬼無」と言うようになった。その後、当時讃岐国守であった菅原道真が漁師にこの海賊征伐の話を聞き、おとぎ話としてまとめ、全国に「桃太郎伝説」を広めた。

この論文が発表された翌年の1931年(昭和6年)には橋本仙太郎によって女木島に人工の大洞窟が発見され、論文の効果と相まって桃太郎伝説の信憑性は一気に高まった。