かつて香川県は、朝廷に竹製の矛竿(ほこさお)を納めていたことから「竿調国(さおつきのくに)」と呼ばれていました。特に香川県三豊市豊中町の竹田地域には、竹を求めて移住した讃岐忌部氏が住みつき、西讃地域の開発を進めました。香川県には今も竹にまつわる文化や地名が残っており、竹取物語の「竹取の翁」が「讃岐造(さぬきのみやつこ)」とされていることから、物語の舞台が香川だった可能性も指摘されています。竹とともに歩んだ歴史が、香川の文化の中に息づいています。
・『讃岐(さぬき)』の名前の由来が、『竿調国(さおつきのくに)』
・日本最古の物語『竹取物語』にでてくるかぐや姫の『竹取の翁』の本名が、『讃岐の造(さぬきのみやつこ)』
これらのことから、香川県はかつて良質な竹が取れた産地だったのかもしれないと想像することができます。
In the past, Kagawa Prefecture was called ‘Saotsuki no Kuni’ (the land of bamboo poles) because it supplied bamboo spear poles to the imperial court. In particular, the Takeda region of Toyonaka-cho, Mitoyo City, Kagawa Prefecture, was settled by the Sanuki Inbe clan, who moved there in search of bamboo and promoted the development of the western Sanuki region. Even today, Kagawa Prefecture retains bamboo-related culture and place names. Since the ‘Old Man of the Bamboo Cutter’ in The Tale of the Bamboo Cutter is said to be ‘Sanuki no Miyatsuko,’ there is also speculation that the story’s setting may have been Kagawa. The history intertwined with bamboo continues to thrive within Kagawa’s culture.
・The origin of the name ‘Sanuki’ comes from ‘Saotsuki no Kuni’.
・The real name of the old man who appears in Japan’s oldest story, ‘The Tale of the Bamboo Cutter,’ is ‘Sanuki no Miyatsuko.’
From these facts, we can imagine that Kagawa Prefecture may have once been a place where high-quality bamboo was harvested.
竹皮
杖
とんど
小豆島 中山
瀬戸内海歴史民俗資料館
萬燈寺(香川県高松市国分寺町)
讃岐忌部氏は、矛竿の材料である竹を求めて、いまの香川県三豊市豊中町笠田竹田忌部の地に居を構え、そこを拠点として特に西讃(せいさん)地方を開発した。
高瀬町誌に「讃岐忌部氏は江戸時代の中ごろまで豊中町竹田字忌部にいたがその後高瀬町上麻に転住し現在に至る」との記述がある。
竹取物語との関連
竹取物語のモデルとなった場所として、岩波・新潮・講談社の「竹取物語研究書」は現在の奈良県北葛城郡広陵町としている。広陵町の小字(こあざ)は「笠神」であり、讃岐神社(広陵町)と笠神との間には「笠」なる村が存在し、古語拾遺の「崇神天皇」条に登場する笠縫邑(かさぬいのむら)と共に、讃岐忌部氏との関係が示唆される。 なお、この物語には竹取翁の名前が讃岐造(さぬきのみやつこ)、かぐや姫と名付けたのが三室戸斎部秋田(みむろとのいんべのあきた)とあることと、香川県さぬき市長尾町に鎮座する多和神社の祭神が讃岐忌部氏の祖神・手置帆負命であり、同町の古くからの特産品が竹であることから竹取物語との関係を指摘する声がある。
黎明期から讃岐忌部が祭祀のための竿矛を製造していた。そのため竿調国とも呼ばれていた。また古墳時代から石棺のための石材産業が羽床周辺で盛んに行われていたことがわかっている。『播磨国風土記』印南郡の条には、神功皇后が崩御した仲哀天皇のための古墳築造のために、讃岐国の羽若の石を求めた物語が記されている。鷲ノ山周辺は凝灰岩質であり加工しやすい石材が採掘された。
その後、渡来人の移入で須恵器生産と製塩産業が始まったとみられる。『延喜式』によると、讃岐の阿野郡からは調として「煎塩」を貢上することが記されている。また須恵器製造も盛んであったことも十瓶山窯跡群西村遺跡の発掘調査からわかっている。
香川県の旧国名である(「さぬきうどん」でおなじみの)「讃岐」については、狭貫、佐貫などとも書き、むかし、朝廷へ「調」として矛竿(ほこさお)を納めたことから、「竿調(さおつき)国」と称したことにちなむとも、東西に細長い地形から「狭貫」と書いたともいわれています。
「かぐや姫」が登場する「竹取物語」も香川県ゆかりの物語という説がありますが、竹林でかぐや姫を見つけた竹取の翁は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」という名前。その昔は讃岐の地から税金の一種である「調」として竹さおが納められていました。そこで、三豊市豊中町の笠田がお話の舞台であるという説や讃岐忌部(いんべ)氏の祖神・手負帆負命(たおきほおひのみこと)をまつる多和神社があるさぬき市長尾ではないかという説があります。
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