麁妙(あらたえ)という天皇が着用する神事用の衣服を、四国の木屋平で忌部氏(いんべし)が大麻を栽培・加工して 朝廷に献上しているのだそうです。
忌部氏というのは、大和時代から奈良時代にかけての氏族的職業集団のこと。


写真:徳島県の山間集落

PDF しんぶん麻旗4号

唐突に聞こえるかもしれないが、天皇と麻は切っても切れない関係にある。皇室祭祀で最も重要な儀式である、 天皇即位時に行う大嘗祭では、平成元年に四国でわざわざ 1 年だけ大麻を育て、儀式の服である麁妙を捧げた。 麁妙とは天皇が着用する神事用の衣服で、代々四国の木屋平で忌部氏が大麻を栽培し、麁妙に加工して 朝廷に献上している。

村営バス、7年連続黒字の快挙 山里でも住民が積極利用

静かな山村

 木屋平(こやだいら)村は、徳島県のほぼ中央部に位置し、標高千五百メートル級の名峰に囲まれた、人口千四百人余りの静かな村である。豊かな自然に大気は澄み、その山々の原生林に源を発する渓流は、四国一の清流、穴吹川を生み、また、西日本第二位の高峰として威容を誇る剣山(千九百五十五メートル)は、修験道・山岳信仰の山として、古くからあがめられてきた。
 金色に輝きながら、大きくうねる早朝の雲海や、空を朱色に染めた夕焼け雲、登山者の影がにゅっと伸びて雲に映るブロッケン現象など豊かな山の表情は、まさしく一見の価値がある。この剣山から東に連なる中尾山高原は、急峻な地形が多い村にあって、緩やかな斜面を形成し、グラススキー場やオートキャンプ場、テニスコート、バンガロー、木造体育館といった多彩な施設を抱え、アウトドアを楽しむ若者や家族連れで賑わっている。
 なかでもグラススキー場は、四国随一の規模を誇り、平成七年十月に「第十一回グラススキー全日本選手権大会」、同十年七月には「第五回高円宮杯グラススキージャパンオープン」を開催し、この両大会には高円宮憲仁親王殿下が出席するなど、雪のない南国のスキーのメッカとして各方面から注目を集めている。
 村の歴史も古く、南北朝時代、足利尊氏の重臣細川一族が、足利の新興勢力をバックに阿波一国のみならず、四国全体の支配に乗り出す。このとき、吉野川流域に居住する武士団、いわゆる平野部の武士団のほとんどが、足利方(北朝)に服従していくが、三木氏を頭領とする山岳武士団は、剣山山地の険しい自然を要害の地として連合し、細川の大軍に戦いを挑み、南朝方への忠勤に励んだ。この「三木氏」は、阿波忌部(いんべ)の直系として、上古以来、歴代の天皇大嘗祭(だいじょうさい)に鹿服(あらたえ)を献上し、朝廷と深い繋がりを持っている。この三木家の住宅は、民家として徳島県で最古(十七世紀初め)といわれ、昭和五十一年に国の重要文化財の指定を受けている。

自家用車がとって代わる

 木屋平村は、昭和三十年には六千五百七人の人口を数え、農業生産や林業経営の安定収入によって活力ある農山村を営んできた。村で手に入らない食糧や物質の調達に多くの人たちがバスを利用し、村でただ一つのバス路線であった穴吹・木屋平間は、どの乗客も大きな手荷物を持ち、車内は大変な込みようであった。当時は車両が不足し、急場しのぎにトラックの荷台に人を乗せて運んだこともあった。
 この民間会社経営のバスは、最盛期、この路線に一日七往復のバスを走らせ、会社のドル箱であった。それが高度経済成長とともに、四十年ごろから、村内でも自家用車を持つ人が現れ、それまでバスが唯一の交通機関であった村では、自家用車が急速に普及してバスに取って代わるようになった。県都徳島市は、大部分の村民にとっては、まれにしか行けない、大都会であったが、自家用車の普及とともに買い物に、行楽に、所用にと常時出掛けられる身近な街となった。だが、それと並行してバスの衰退は著しく、五十年代初めには赤字路線の第二種路線(国の規定で平均乗車数が三~五人の路線)になった。高齢者を多く抱える村では、バスは不可欠であり、国や県、村の補助金を受けながら民間経営のバス運行を支え続けた。六十三年には、平均乗客数が三人以下の第三種路線となり、村と関係町の穴吹町は欠損額の半分ずつを補助するようになったが、それも打ち切られ、平成三年十月一日、村は「穴吹木屋平連絡バス」(JR徳島線穴吹駅=木屋平村川上間)の運行を始めた。これで民間バスは村から姿を消した。
 平日は小型バス(定員二十八人)で三往復(休日は二往復)、ほかに村に一カ所しかない診療所への通院用に同診療所と川上間を一日一往復している。料金は全線なら千五百円で、この七年間据え置いたままだ。

民営から村営へ

 「赤字覚悟」での代替バス事業のスタートであったが、運行を始めるとウソのように快調な滑り出しとなった。民間のバス会社撤退通告を受け、穴吹町と代替バス運営協議会を設け、経営についてたびたび協議を重ねながらコスト節減に知恵を絞った。
 まず、これまでの大型バスの運行から小型バスの運行にし、実際の運転業務はタクシー会社に委託した。経理などの間接部門は、役場職員で担当する、など維持費と人件費を最小限に抑える努力をした。また、路線途中に位置する県立高校分校に配慮したダイヤを設定、生徒が利用しやすいよう工夫し、バス停以外でも自由に乗降できる「フリー乗降制度」を採用した。こうした利用者の利便を最大限考慮したこともあるが、何よりも村内唯一の公共交通手段として、住民が危機感を持って積極的に利用しているのが黒字経営の主因である。
 スタート当初の三、四年度ごろは一般利用客も多く、黒字が五、六百万円に上ったが、徐々に減少しはじめ、八年度あたりから二百万円ぐらいに落ちている。
 このため、村の大きな観光資源である剣山や中尾山高原の観光客など、新たな利用客の獲得が今後の課題となってくる。

観光客獲得に活路

 代替バスの黒字が、全国でも珍しいケースとして紹介されたので、県外の市町村からも視察や問い合わせが相次いだ。もう一つ明るい話題は、今秋、宮尾登美子文学の新境地として話題の小説『天涯の花』(集英社刊)がテレビドラマとなって、全国に放送される。「天涯の花」とは、厳しさと美しさ、四季の変化に富んだ霊峰剣山にだけ群生する「キレンゲショウマ」のこと。汚れなきひとりの少女が、この花にひかれ、自然の中で美しく純真に、そして力強く成長する姿と恋を描いた作品で、今年一月、新橋演舞場で女優松たか子さんが主人公・平珠子役を演じ、大きな反響を呼んだ。今回のテレビドラマをきっかけに「キレンゲショウマ」が村の新たな観光資源となるような地域づくりを図っていきたい。


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参考:大麻の話。日本の伝統、文化の視点から。 – Togetter