柑橘(かんきつ)の石垣の段畑、青い海。古くから農漁業を営む西予市明浜町狩浜は、2019年には国重要文化的景観に選定されました。この地で、1974年から有機栽培での伊予柑栽培をはじめた無茶々園さんが、総務省の令和3年度ふるさとづくり大賞総務大臣表彰を受賞しました。40年以上にわたり「エコロジカルなむらづくり」を掲げて、有機農業や漁業者と連携した環境維持活動、観光事業や廃校利活用など、地域づくりに積極的に取り組んでいます。

無茶々園
住所:愛媛県西予市明浜町狩浜2-1350 [Google Map]
電話:0894651417

muchachaen
Address : 2-1350 Karihama, Akehama town, Seiyo city, Ehime pref., Japan [Google Map]
電話:0894651417

2014年2月撮影

無茶々園 - 愛媛県西予市明浜町狩浜

無茶々園
住所:愛媛県西予市明浜町狩浜2-1350 [Google Map]
電話:0894651417

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Address : 2-1350 Karihama, Akehama town, Seiyo city, Ehime pref., Japan [Google Map]
電話:0894651417

令和3年度ふるさとづくり大賞 受賞者の概要 – 総務省 PDF

団体表彰(総務大臣表彰)

愛媛県 西予市 地域協同組合 無茶々園

1974年、農薬や化学肥料の使用を前提とした近代的な農業に疑問を持った農業者が、農地を借り受け、有機栽培での伊予柑栽培を始めた。有機農業の開始から40年以上にわたり「エコロジカルなむらづくり」を掲げて、柑橘を中心とした農業生産だけでなく、柑橘を使った地域発のブランド開発、漁業者と連携した環境維持活動、福祉事業への参画、新規就農者の確保・育成の他、段々畑を活用した観光事業や廃校となった小学校の活用などを通じて、ふるさとづくりに積極的に取り組んでいる。

宇和海狩浜の段畑と農漁村景観 | 全国文化的景観地区連絡協議会

愛媛県西予市は、四国地方南西部に位置し、西は宇和海から東は四国カルストまで東西に長く、高低差は0~1,400mまであり、多様な自然景観を有します。狩浜は西予市南西部に位置し、地区全体が宇和海に面します。海岸部はリアス海岸が広がり、集落の背後には、間近にまで山々が迫ります。民家は海沿いの狭い平地に密集し、耕地は山の斜面に階段状に広がり、段畑と呼ばれています。狩浜の段畑は、地元産出の石灰岩で築かれ、他には見られない壮観となっています。

狩浜地区は江戸時代より半農半漁の暮らしが続き、現在も、漁業では真珠や魚類の養殖業とシラス漁が行われています。海には真珠養殖筏が浮かび、浜にはシラスを干す干場が点在します。かつてはイワシ漁が盛んでしたが、今はその面影は殆んどありません。

段畑は江戸時代、自給用の芋、麦を栽培していましたが、明治以降に養蚕業が入ると桑を植え付け、石灰岩を利用した段畑の石垣化が進みました。養蚕業は戦時中に衰退し、戦後一時期、再び芋、麦になりましたが、昭和30年代からは、みかん栽培が発展し、現在では県内有数の産地となっています。

集落内には、養蚕業が盛んだった頃に建てられた養蚕・居住兼用の家屋や養蚕小屋、納屋等が多数残り、伝統的な集落景観が保たれています。また、春日神社の秋季大祭は、住民が最も楽しみにする行事で、この時は帰省者も多く、皆が親睦を深めるものとなっています。祭りには、神輿の海上渡御が行われ、牛鬼、五つ鹿踊、御船、角力練り、太神楽等のお練りも、昔から続いています。

この様に狩浜には、「農漁村」として歩んできた集落景観が良好に残され、温暖な宇和海に面した愛媛県南予地方の伝統的な生活・生業を理解する上で欠く事の出来ない景観地であると言えます。

「宇和海狩浜の段畑と農漁村景観」が国重要文化的景観選定へ!/西予市

狩浜の歴史と暮らし

江戸時代、狩浜は鰯漁を営む漁村でしたが、好不漁の浮き沈みを農業で補い、麦、櫨、養蚕など時代に応じた作物へと転換を図り、現在は多様な柑橘栽培を主産業とし、漁業ではちりめん漁や真珠養殖がおこなわれています。石積みの段畑景観は、近代の養蚕の発展とともに段畑が石垣化され、仏像構造線を境に入手できる石灰岩や砂岩、チャートなど近くからとれる石材を利用して築き上げられたものです。石垣の灰白色と柑橘の緑や橙が空と海の青さに彩られる景観は、「秋光映発して橘果鮮やかなり」と謳われています。また集落には、その時の生業に応じて造られたり改良された建物が多く残り、暮らしの変遷を今に伝えています。地元春日神社の秋祭りは、各地区がそれぞれに役割を担うことで住民同士の結びつきを強め、地域に欠かせない魅力あふれる行事となっています。狩浜では有機栽培やユニークなまちづくりに取り組む住民も多く、こうした動きの中で景観が維持され地域の魅力となっています。

令和3年度ふるさとづくり大賞で「団体表彰」を受賞いたしました

大地とともに心を耕せ! 無茶々園は環境破壊を伴わず健康で安全な食べ物の生産を通してエコロジカルな町づくりを目指す運動体です。

無茶々園とは、安心安全な食べ物の生産を通して気持ちよく暮らせる町づくりを目指す生産者の団
体です。天まで届きそうな石垣の段々畑とその眼前に広がる宇和海、そしてそこで営まれる人々の
笑顔あふれる生活。これらを後世に伝えるため、できるだけ環境に負荷をかけない農業・漁業を実
践しています。

◆無茶々園の考え
明浜の百姓は、耕して天に至ると言われるような急峻な段々畑を代々受け継いできました。
この地が半農半漁の自給的生活からみかんの経済栽培へと移ったのが六十年前、私達がみかんの有
機栽培に舵を切ったのは四十年前、明浜を飛び出して新規就農者とともに甘夏の出作りをはじめた
のが十年前。農業や田舎も変わり続けています。私達は、生まれ育ったこの故郷にしっかり根ざし
ながらも、未来に向かって営々と生きていきたいと思っています。経済や農業のかたちがいかに変
化しようとも、「兎追いし小鮒釣りし」田舎は永遠でありたいと考えています。

◆無茶々園の活動
無茶々園は、除草剤や化学肥料を使用せず、農薬をできるだけ使わない柑橘類の生産・販売を中心
に活動しています。今では明浜で 80 軒以上のみかん農家が、無茶々園の旗印の下、環境への負荷
が少ないみかん栽培に取り組んでいます。山や畑、海は生き物の宝庫。地域の宝である自然豊かな
環境を守ることにもつながります。無茶々園は三十年以上に渡り、地域での有機農業の広がりにこ
だわってきました。農業を主軸として、集落や町全体で気持ちよく暮らせる田舎を作りたい。環境
にやさしいみかん作りを志すのは、自分たちの住む地域の自然環境を向上させたいというのが大き
な動機になっています。

◆有機農業の新しい取り組み
いま全国の農家の平均年齢は 60 歳を超え、代々家族経営で続けてきた農業がこのままでは立ち行か
なくなってきました。
無茶々園には昔から有機農業研修や体験を目的に多くの若者がやってきていましたが、1999 年には
「ファーマーズユニオン天歩塾」を立ち上げ、本格的に新規就農者の受け入れと育成をはじめています。
これからの農業後継者は経営能力を磨き事業として農業を実践することが必要です。
松山市北条に開設した有限会社ファーマーズユニオン北条では、有機栽培による大規模農業経営の実
践を目指しており、若い新規就農者が中心となって柑橘や野菜の栽培を行っています。

無茶々園ストーリー

「ネオン街の蝶を追っ掛けるより、蜜柑畑のアゲハチョウでも追っ掛けようや。」「無農薬、無化学肥料栽培なんて無茶なことかもしれないが、
そこは無欲になって、無茶苦茶に頑張ってみようや」という意味を含めて「無茶々園」と命名しました。

農薬や化学肥料に頼らないでみかん作りをしていくこと。これが無茶々園のスタートであり、基本となる考えです。
化学肥料は使わず有機物で育てる。除草剤もいっさい使わず雑草対策はもっぱら人の手で。農薬にはできるだけ頼らずに、使用する場合にも環境を考えて有機栽培で認められているものを優先する。
この栽培方針のもと、80軒以上の農家が無茶々園のみかん作りを行っています。

1974年(昭和49年)5月、広福寺(愛媛県西予市明浜町)住職の好意で15aの伊予柑園を借り受け、有機農業の研究園を作り、本格的活動を
開始します。現在では110haの規模になり、大規模環境保全型農業を足掛かりに、地元に根ざした、若者が生きて
いける新しい感覚の農業システムの構築を目指しています。