今から132年前、1888年(明治21年)12月3日、香川県が愛媛県から分離独立しました。この香川県の独立を最後に、日本全国がいまと同じ47都道府県となりました。つまり香川県は最も小さい県であり、最も新しい県でもあります。

記念に香川県の写真をいくつかピックアップして掲載しておきます。香川県関連の物語を届けるしごとの記事はこちら。

Kagawa was formerly known as Sanuki Province. For a brief period between August 1876 and December 1888, Kagawa was made a part of Ehime Prefecture. Kagawa prefecture was born in December 3rd 1888.

香川県|キッズページ – 香川の由来

この「讃岐」という名前は、「狭貫」、「佐貫」などとも書き、続日本紀(しょくにほんぎ)では「紗抜」、播磨国風土記(はりまのくにふどき)では「讃芸」、正倉院文書では「讃岐」といろいろ表現されていますが、古事記、万葉集、古語拾遺(こごしゅうい)などによれば「讃岐」が一般的で、「讃(さん)」はほめる、「岐(き)」は山の姿であることから、「讃岐」は、その美しい風土をたたえて付けられた名前ではないかと考えられます。

江戸時代には、いくつかの藩がありましたが、明治4(1871)年に、廃藩置県で高松県と丸亀県ができました。 そのあと、おとなりの徳島県や愛媛県とひっついたり、はなれたりしながら、明治21(1888)年12月3日に今の香川県が生まれました。

ちなみに、「香川」(かがわ)という名前は、「香の川」から来ているといわれています。

むかし、香川の奥山に、樺川(樺河)というところがあり、その地に「樺の木」が生えていたそうです。 そこから流れる川(今の香東川 という説があります)の水に樺のいい香りが乗って流れていたことから、「香川」という呼び名が広まったそうです。

「香川」の名前の由来は、江戸時代後期の「全讃史」※という本に書かれています。

※「全讃史」は、讃岐の歴史が書いてある本です。1828年に中山 城山(なかやま じょうざん)という人がまとめました。

香川県発足 – Wikipedia
徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。

1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。

その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県(1873年2月19日以前)が設置され、1872年(明治5年)に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日以後)と同じ管轄範囲(行政区画は1888年12月3日に分割)となる。

しかし、1873年2月20日には名東県(後の徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日に香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離されたが、翌年1876年8月21日には愛媛県に編入された。度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり、12年後の1888年12月3日に香川県が復活して、現在に至る。なお、1888年の香川県の分離独立を最後に、東京府と東京市の合併(1943年7月1日)や、第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれた沖縄県の日本再編入(1972年5月15日)などの特殊な事例を除いて、新しい県の設置はなく、この1888年12月3日に現在の47都道府県体制がほぼ確立したことになる。

「香川県」の名称は、高松市が所属していた香川郡から取ったもので、いわば郡名を県名にしたものである。

明治から大正にかけて香川県で鉄道敷設競争が起こり、讃岐鉄道(のちの国鉄)、琴平参宮電鉄、琴平電鉄(後の高松琴平電気鉄道)、琴平急行電鉄の4社が高松 – 丸亀 – 琴平間で競って鉄道を敷設した。