高松城跡・玉藻公園内に建つ披雲閣(ひうんかく)は、1917年(大正6年)に旧高松藩主・松平家の別邸兼迎賓館として建てられた近代和風建築です。かつて藩主御殿があった三の丸跡に、第12代当主・松平頼壽によって再建されました。

建物は伝統的な書院造を基調としながら、近代的な建築技術も取り入れた大規模な木造建築で、142畳敷の大書院をはじめとする格式高い接客空間を備えています。江戸時代の御殿建築を意識した配置や意匠を今に伝え、近代に旧城主が城跡へ建設した和風住宅として全国的にも貴重な存在です。その歴史的・建築的価値が評価され、2012年(平成24年)に国の重要文化財に指定されました。

また、建物を取り囲む披雲閣庭園も見どころの一つです。地元産の庵治石をふんだんに用いた飛石や石橋、灯籠、手水鉢が配され、松やソテツの緑越しに高松城の櫓群を望む景観が広がります。近代に旧藩主が城跡に造営した大規模庭園としては全国的にも極めて珍しく、その優れた芸術性から国の名勝に指定されています。現在の披雲閣は、市民に開かれた文化施設として活用されており、お茶会やコンサート、展示会など多彩な催しが行われています。歴史と文化が息づく迎賓館として、高松を代表する文化遺産の一つです。

Hiyunkaku, situated within the grounds of Takamatsu Castle Ruins and Tamamo Park, is a modern Japanese-style building constructed in 1917 (Taisho 6) as a villa and guest house for the Matsudaira family, the former lords of the Takamatsu domain. It was rebuilt by the 12th head of the family, Matsudaira Yoritoshi, on the site of the Sannomaru, where the feudal lord’s palace once stood.

The building is a large-scale wooden structure based on the traditional Shoin-zukuri style, whilst incorporating modern architectural techniques. It features prestigious reception areas, including a grand hall measuring 142 tatami mats. It preserves the layout and design inspired by Edo-period palace architecture, and is a nationally significant example of a Japanese-style residence built by a former feudal lord on the site of a historic castle. In recognition of its historical and architectural value, it was designated a National Important Cultural Property in 2012 (Heisei 24).

Furthermore, the Hiyun-kaku Garden surrounding the building is another highlight. It features stepping stones, stone bridges, lanterns and water basins made from locally sourced Aji stone, offering a view of the tower blocks of Takamatsu Castle through the greenery of pine trees and sago palms. As a large-scale garden constructed on castle ruins by a former feudal lord in the modern era, it is extremely rare even on a national scale, and has been designated a National Scenic Spot in recognition of its outstanding artistic merit. The current Hiyun-kaku is utilised as a cultural facility open to the public, hosting a diverse range of events such as tea ceremonies, concerts and exhibitions. As a guest house imbued with history and culture, it stands as one of Takamatsu’s most representative cultural heritage sites.

史跡高松城跡 玉藻公園 披雲閣(ひうんかく)
住所:香川高松市玉藻町2番1号 [Google Map]
料金:玉藻公園 一般 300円 ※18歳未満無料
駐車:玉藻公園専用駐車場 57台(東入口)
参考:重要文化財 披雲閣(旧松平家高松別邸)利用案内|高松市

Takamatsu Castle Ruins (Historic Site), Tamamo Park, Hiunkaku
Address: 2-1 Tamamo-cho, Takamatsu City, Kagawa Prefecture [Google Map]
Admission: Tamamo Park – General admission: 300 yen *Free for under 18s
Parking: Tamamo Park dedicated car park – 57 spaces (East Entrance)
Reference: Information on the Important Cultural Property Hiunkaku (Former Matsudaira Family Takamatsu Villa) | Takamatsu City

2023/05/16


解説板。重要文化財 披雲閣(旧松平家高松別邸) 平成24年(2012年)7月9日 重要文化財指定
松平藩時代、この地には「披雲閣」と呼ばれる大規模な御殿(現在の披雲閣の約2倍の規模)があり、藩の政庁および藩主の住居として使用されていました。しかし、明治時代に老朽化のため取り壊されました。その後、松平家第12代当主であり、貴族院議長も務めた松平頼壽(よりなが)氏により、3年の歳月と当時の金額で15万円という巨費を投じて再建され、大正6年(1917年)に現在の披雲閣が完成しました。この壮麗な和風建築には、142畳敷の大書院をはじめ、槙の間、蘇鉄の間など、それぞれ趣向を凝らした部屋が設けられています。また、波の間には昭和天皇・皇后両陛下がご宿泊されたこともあります。昭和29年(1954年)に高松城跡とともに高松市へ譲渡され、現在は会議や茶会、生花展などの会場として利用されるなど、市民に親しまれています。

Important Cultural Property: Hiyun-kaku (Former Matsudaira Family Villa in Takamatsu) – Designated as an Important Cultural Property on 9 July 2012
During the Matsudaira Domain era, a large palace known as ‘Hiyun-kaku’ (approximately twice the size of the present-day Hiyun-kaku) stood on this site and served as both the domain’s administrative headquarters and the residence of the feudal lord. However, it was demolished during the Meiji period due to dilapidation. Subsequently, Matsudaira Yorinaga, the 12th head of the Matsudaira family and former President of the House of Peers, undertook its reconstruction. After three years of work and at a cost of 150,000 yen—a colossal sum at the time—the current Hiyun-kaku was completed in 1917 (Taisho 6). This magnificent Japanese-style building features a variety of exquisitely designed rooms, including the Great Study (142 tatami mats), the Maki Room and the Sōtetsu Room. Furthermore, Their Majesties the Emperor and Empress of Shōwa once stayed in the Nami Room. In 1954, it was transferred to Takamatsu City along with the Takamatsu Castle ruins, and is now a beloved venue for the local community, used for conferences, tea ceremonies and ikebana exhibitions.


銀閣寺型 手水鉢(ちょうずばち)。京都市左京区の銀閣寺にある手水鉢を模したもの。幅・奥約1.5m、高さ2.0m、水穴の直径は約90cm、深さ約40cm、重さ約11t。


松の間。現在の飛雲閣を別邸として再建した高松松平家・第12代御当、松平 頼寿(まつだいら よりなが)の居室。頼寿伯爵は豆盆栽をこよなく愛し日本盆栽協会の前身である国風盆栽会の初代会長も務めました。


披雲閣庭園(ひうんかくていえん)
平成25年(2013年)10月17日 名勝指定
披雲閣庭園は、大正3~6年(1914~1917)に、松平家第12代当主・松平賴壽(よりなが)が高松城三の丸に披雲閣を建築した際、東京の庭師・犬飼勤蔵によって作庭された庭園です。三の丸には江戸時代にも御殿があり、北東側に2か所の築山が絵図に描かれていることなどから、この庭園は江戸時代の庭園の一部を受け継ぎながら整備されたと考えられています。庭園には、マツやウバメガシを中心とした植栽の中に、多数の景石や石造物が配置されています。景観を特徴づける要素として、北東から南西へと延びる枯流れと、北東に2か所、西に1か所、さらに披雲閣蘇鉄の間北側に1か所の築山があります。枯流れの周辺には多くの石造物が配されており、なかでも中ほどに架かる、一つの花崗岩をくり抜いて造られた精巧な石橋は見どころの一つです。また、披雲閣大書院北側には、高さ約2メートル、重量11トン余りといわれる大型の手水鉢が据えられています。庭園内には園路に沿って飛石が縦横に配され、建物の軒先には沓脱石が置かれていますが、これらにも大型の花崗岩が用いられています。また、庭園内には昭和天皇・皇后両陛下がお手植えになられた松も残されています。
寄贈 公益財団法人松平公益会

Hiunkaku Garden
Designated a Place of Scenic Beauty on 17 October 2013
The Hiunkaku Garden was created by the Tokyo landscape gardener Kinzo Inukai between 1914 and 1917, when Yorinaga Matsudaira, the 12th head of the Matsudaira family, built the Hiunkaku in the Sannomaru of Takamatsu Castle. As there was a palace in the Sannomaru during the Edo period, and as maps depict two artificial hills on the north-eastern side, it is believed that this garden was laid out whilst incorporating elements of the Edo-period garden. Within the garden, numerous landscape stones and stone structures are arranged amongst plantings centred on pine and Japanese oak. Key features of the landscape include a dry stream bed running from the north-east to the south-west, and three artificial mounds: two in the north-east, one in the west, and another to the north of the Sōtetsu-no-ma room within the Hiyun-kaku. Numerous stone structures are arranged around the dry stream bed; among these, a particularly fine stone bridge, carved from a single block of granite and spanning the middle of the stream, is a highlight. Furthermore, on the north side of the Hiyun-kaku Great Study Hall stands a large hand-washing basin, said to be approximately 2 metres high and weighing over 11 tonnes. Within the garden, stepping stones are arranged criss-crossing along the paths, and stone platforms for removing shoes are placed beneath the eaves of the buildings; large blocks of granite have been used for these as well. Additionally, a pine tree planted by Their Majesties the Emperor and Empress Shōwa remains within the garden.
Donated by: Matsudaira Public Interest Foundation


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蘇鉄(ソテツ)


耐震補強


高松城


照明


釘隠し


欄間(らんま)


手水鉢


鳳凰(ほうおう)


違い棚


柱が途中で切れてる


天井

重要文化財 披雲閣(旧松平家高松別邸)利用案内|高松市

披雲閣(旧松平家高松別邸)
 大正6年(1917年)に建設された披雲閣は、高松城の三の丸に旧高松城主の高松松平家の別邸として、また、香川を訪れる賓客をもてなす迎賓館としての役割も持ちあわせていました。建築的特色としては、近世以来の正統的書院造であり、伝統技術と洋風技術が融合された構造及び意匠となっています。平成24年7月9日には国の重要文化財に指定されました。現在は貸館を行っており、お茶会やコンサート、撮影会など多彩なイベントが催されています。

披雲閣(旧松平家高松別邸) 本館 文化遺産オンライン

披雲閣(旧松平家高松別邸) 本館
ひうんかく(きゅうまつだいらけたかまつべってい) ほんかん

香川県
大正/1917
木造、建築面積1,916.51㎡、一部2階建、入母屋造及び寄棟造、南面車寄附属、桟瓦葺
香川県高松市玉藻町2番1号

披雲閣は、高松城跡の三の丸に所在する旧高松城主の松平家の別邸である。清水組の設計、施工により、大正6年に完成した。三の丸の南面に開く桜御門を正門として敷地の中央に本館を建て、海に面した北側に庭園をつくる。本館は、接客、居住、家政などの機能をもつ各部を廊下で接続する。江戸時代の御殿を意識した伝統的な配置や意匠をもち、百四十二畳敷の「大書院」から複数の小座敷を配した「杉の間」まで、充実した接客空間を擁する。披雲閣は、旧城主によって近代に建設された大規模な和風住宅であり、江戸時代の城跡に再建された希少な事例である。また、近代的な組織体制により設計と施工の管理が徹底された住宅建築であり、大正時代におけるわが国の大規模和風住宅の技術的水準を示すものとして重要である。

披雲閣庭園 文化遺産オンライン

玉藻城の異称で知られる讃岐の高松城は、瀬戸内海に臨んで築かれた海城である。天正16年(1588)に生駒氏により築城されたが、寛永19年(1642)に松平氏の居城となり、寛文年間(1661〜1673)から延宝年間(1674〜1681)にかけての大改修を経て完成した。明治維新の後は老朽化した多くの建築が取り壊されたが、大正3〜6年(1914〜1917)に第12代当主の松平賴壽(1874〜1944)が、かつて三の丸に存在した藩主御殿の跡地に、新たな迎賓施設として現在見る披雲閣の建築及び庭園を造営した。幕藩時代の旧藩主が近代以降の城跡に造庭した大規模な庭園は、披雲閣庭園をおいて他に類例がない。
 披雲閣庭園は大きく4つの部分から成る。第1は三の丸の正門であった桜御門跡から表玄関へと至る導入部、第2は大書院と「蘇鉄の間」との間の庭園、第3は各建築群とそれらを結ぶ廊下によって囲まれた4つの壺庭、そして第4は大書院、「槙の間」(2階は「波の間」)、「松の間」、「藤の間」の北側に広がる主庭である。
 第二次世界大戦の戦火により焼失した桜御門跡から表玄関へと至る現在の導入部には、中央の植栽樹木及び庭石の廻りに園路が周回し、披雲閣の表玄関及びその左右に連続する建築・塀に沿って樹木が植えられるなど庭園的な修景が行われている。しかし、作庭当時に撮影された写真からは、樹木植栽を伴わない砂利を敷き詰めただけの空間であったことが知られる。
 表玄関を入って左手の「蘇鉄の間」に至ると、北側の大書院を背景として、緩やかに盛り上がりを見せる2つの築山とその上に叢生する豊かな株立ちの一群のソテツから成る比較的小規模な壺庭風の庭園が広がる。複数の柱と長押、縁先に縁取られたソテツの庭の風景は、一幅の絵画のようである。建築とそれらを結ぶ廊下によって囲まれた他の4つの壺庭にも、それぞれ樹木と岩石を用いた枯山水が意匠されている。
 大書院から「槙の間」、「松の間」、「藤の間」にかけての北側には、広々とした主庭園が広がる。敷地の北東隅部の築山付近から発した枯流れが、「槙の間」及び大書院の北側の築山の前面を斜めに横切り、敷地の西端へと延びる。各々の座敷縁先の沓脱石に端を発する飛石の園路は、合流と分岐を繰り返しつつ、枯流れに沿って蛇行するもの、枯流れに架かる石橋を経て築山の背後へと誘うものなど、複雑かつ縦横に広がる。それらの多くは、讃岐地方特産の庵治石と呼ぶ細粒黒雲母花崗岩の巨大な石材から成り、表玄関脇の板塀に開く門から蘇鉄の間及び大書院の西側を経て敷地北西部の出入口へと延びる長い飛石の園路を含め、この庭園の空間構成及び材料の特質を語る重要な要素となっている。
庭園の随所には、巨大な石材を用いた燈籠・手水鉢・石橋・井戸枠など眼を惹く多様な石造の景物が配置されている。特に、大書院の西北隅の縁先に設えられた銀閣寺型手水鉢は、他に類例を見ないほどの規模を誇るほか、枯流れに架かる2つの石橋のうち、上流の石橋は昭和3年(1928)に高松城跡において開催された全国産業博覧会の展示品を移設したもので、大型の庵治石から彫り出した石造品として貴重である。
 また、「槙の間」の階上に当たる「波の間」からは、マツを主体とする豊かな庭園樹の背景に、月見櫓・続櫓・水手御門から成る城郭建造物を望むことができる。
 以上のように、披雲閣庭園は、大正12年間に旧讃岐高松藩主松平氏第代当主の松平賴壽が高松城三の丸跡に迎賓施設として造営した庭園であり、近代以降になって近世城跡に作庭された大規模な庭園の希少な事例である。地元産の大きな庵治石を多用し、燈籠・手水鉢などの景物にも大規模なものを使うなど、大正時代の庭園に共通の特質を示す事例としても重要であり、マツ・ソテツなどの豊かな庭園樹の背景に、城郭建造物を望む意匠・構成も優れている。その芸術上の価値は高く、よって名勝に指定し保護しようとするものである。

玉藻公園披雲閣

江戸時代にもこの場所に、約2倍の規模で政務が行われる場所、藩主が生活する場所として「披雲閣」という名前の御殿がありました。現在の披雲閣は、明治維新後、老朽化を理由に取り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主賴寿伯爵が大正3年に再建に着手し、3年余りの歳月をかけ大正6年(1917年)に完成したものです。当時の新聞記事には「壮麗目を奪う」「瀬戸内海の一大建造物」といった見出しが躍りました。この建物は松平家の別邸として建てられましたが、その一方で、香川を訪れる賓客をもてなす迎賓館としての役割も持ちあわせていました。建築的特色としては、伝統を踏まえた意匠は近世以来の正統的書院造としていささかの破綻もなく、伝統技術と洋風技術が見事に融合された構造となっています。さらに披雲閣は、規模も大きく、一部改変はあるものの保存状態もよく当時の様相を伝える非常に高い価値を有するもので、平成24年7月9日には国の重要文化財に指定されました。文化財の指定後も貸館としての業務を続けており、市民に親しまれる文化財としてこれからの活用が期待されています。