香川県三木町(旧奥鹿村)出身の三木博士(1901年1月1日生まれ)といえば、メタセコイアの発見者として世界的に有名です。その偉大な業績を記念して、この丘は作られました。メタセコイア(和名:アケボノスギ)は、裸子植物のスギ科に属し、35mにも成長する落葉高木です。百万年も前に恐竜たちのように絶滅したと思われていた巨木です。

太古の化石の研究からこの幻の巨木を発見した三木博士は、1941年(昭和16年)、その研究結果を発表しました。それから4年後、中国四川省の奥地で神木としてメタセコイアが生き残っていたことが判明しました。博士の発見が世界中に知れ渡り、多くの人の称賛を受けました。その後、メタセコイアの苗木は日本にも送られてきて、現在では全国各地でその姿を見ることができるようになりました。120年前が三木茂博士の誕生日、80年前がメタセコイアと命名した年ということで、2021年は記念の年でした。香川県内には、香川県三木町の太古の森や、高松空港の周辺にメタセコイアが植えられており、紅葉の時期は特に綺麗です。

Dr Miki (born 1 January 1901), from Miki Town (formerly Okushika Village) in Kagawa Prefecture, is world-famous for his discovery of the metasequoia. This hill was created to commemorate his great achievement. The metasequoia (Japanese name: akebono cedar) belongs to the gymnosperm cedar family and is a deciduous tree that can grow up to 35 metres. It is a giant tree that was thought to have become extinct like the dinosaurs a million years ago.

Dr Miki discovered this phantom giant tree through his study of prehistoric fossils, and published his findings in 1941. Four years later, it was discovered that the metasequoia had survived as a sacred tree in the interior of Sichuan Province, China. The doctor’s findings became known around the world and won him much acclaim. Subsequently, metasequoia saplings were sent to Japan and today they can be found all over the country, with the year 2021 being a commemorative year, as 120 years ago was Dr Miki Shigeru’s birthday and 80 years ago was the year he named the tree metasequoia. In Kagawa Prefecture, metasequoia trees are planted in the Taiko-no-mori forest in Miki Town, Kagawa Prefecture, and around Takamatsu Airport, and are particularly beautiful during the autumn foliage season.

太古の森
住所:香川県木田郡三木町上高岡1446 [Google Map]

Taiko no Mori (Primeval Forest)
Address : 1446 Kami-takaoka, Miki town, Kagawa pref., Japan [Google Map]

2022年12月撮影
2022年11月25日にメタセコイアを新種として発見・命名した三木茂博士(1901~74)の生家跡の修復工事が完了し資料館がオープンしたと聞いて行ってきました。見学無料、要予約(佐々木さん 087-899-0405)

2021年3月撮影
【香川 命名80周年】植物学者 三木茂『メタセコイア』


スパイラル・サークル (1996) 吉田正彦
Spiral Circle (1996) Masahiko Yoshida


ディメトロドン。全長3m、肉食、二畳紀前期。ディメトロドンは帆と、するどい歯を持った凶暴な肉食獣です。体温調節の得意な爬虫類で背中の大きな帆が体の面積を増やし、体を温めたり冷やしたりできたと考えられています。寒い朝でも帆を温かい朝日に当てれば他の爬虫類より元気に動けたかも知れません。


中が空洞になっているので、食べられ体験ができます。


トリケラトプス


ティラノサウルス


鳥居

おまけ。高松空港周辺のメタセコイア並木

太古の森
住所:香川県木田郡三木町上高岡1446 [Google Map]

Taiko no Mori (Primeval Forest)
Address : 1446 Kami-takaoka, Miki town, Kagawa pref., Japan [Google Map]

Shigeru Miki – Wikipedia, la enciclopedia libre

English
Shigeru Miki (1901-1974) was a Japanese botanist, paleontologist, professor, who developed his academic activities at the Osaka City University, specifically in its Botanical Garden. His taxonomic research accomplishments include the discovery of the fossil genus Metasequoia Miki 1941

Español
Shigeru Miki (1901-1974) fue un botánico, paleontólogo, profesor japonés, que desarrolló sus actividades académicas en la Universidad de la Ciudad de Osaka, específicamente en su Jardín Botánico. Entre sus logros de investigación taxonómica, se incluye el descubrimiento del género fósil Metasequoia Miki 1941

メタセコイア – Wikipedia

メタセコイア(学名: Metasequoia glyptostroboides)は、ヒノキ科(またはスギ科)メタセコイア属の落葉樹。1属1種。和名はアケボノスギ(曙杉)、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名 dawn redwood(または、学名 Metasequoia)を訳したもの。 後述のように、当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、1946年に中国四川省(現在の湖北省利川市)で現存していることが確認された。

メタセコイアの化石は日本各地の新生代第三紀層に見られ、カナダ北部・シベリア・グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していた。1939年に日本の関西地方の第三紀層で、常緑種のセコイアに似た落葉種の植物遺体(化石の1種)が発見された。発見者の三木茂により、セコイアに「のちの、変わった」という意味の接頭語である「メタ」をつけて「メタセコイア」と命名され、1941年に学会へ発表された。それまで発見されていたヌマスギやセコイアと異なると考え、メタセコイア属を設けた。また、落葉樹であることも推定した。日本では2016年1月に福島県広野町の中生代白亜紀の地層から発見された化石が国内最古のメタセコイアの化石とされている。

現生種の発見
当初、「化石」として発見されたために絶滅した種とされていたが、1946年に南京大学の鄭万鈞から北京の静生生物研究所の胡先驌のもとに送られた植物標本が三木論文にあるメタセコイアであることが判明した。これは中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)の「水杉(スイサン)」と呼ばれたもので、「生きている化石」と呼ばれることも多い。

1948年、アメリカのチェイニー(Ralph W. Chaney)が、湖北省から苗を持ち帰り育成。その一部が1950年に三木が結成したメタセコイア保存会に送られ、保存会により日本国内の研究機関や自治体に配布された。

三木茂 (植物学者) – Wikipedia

三木 茂(みき しげる、1901年1月1日 – 1974年2月21日)は、日本の植物学者。メタセコイアの発見者。香川県木田郡奥鹿村(現:三木町鹿庭)出身。盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)を経て、1925年、京都帝国大学理学部卒業、後に同教授。大阪学芸大学(現:大阪教育大学)教授、大阪市立大学教授を歴任。また、大阪自然科学研究会(大阪市立自然史博物館友の会の前身)の会長を務め、自然史科学の普及活動に貢献した。

和歌山県・岐阜県から、常緑樹のセコイアやヌマスギとは異なる落葉樹の植物遺体(化石の一種)を発見し、1941年にメタセコイアと命名、発表した。遺跡出土の植物遺体についても多くの考察を残した。また、水草研究および植物化石の研究において大きな功績を残した。著書に「山城水草誌」がある。

現在、生家跡には三木町によって「三木茂生家跡」の碑石が立つ。その付近には故郷に残された博士の遺品類をまとめた三木茂資料館が運営されている。また、同町は博士を記念して町のシンボルの一つとしてメタセコイアを定め、町営の森林公園である「太古の森」や、三木町立三木中学校の校庭にこれを植樹・成育している。

(天声人語)奇跡の木 – 朝日新聞

東京・上野の国立科学博物館の一角で、長身の木が2本、寒空に枝を伸ばす。メタセコイアだ。「生きている化石」とも呼ばれ、命名からちょうど80年の節目を迎える。名付けたのは、京都帝国大学の三木茂博士。大量の植物の化石を分析し、それまで常緑のセコイアなどと思われてきたものの中に、未知の落葉樹を発見した。セコイアに「後の(メタ)」というギリシャ語をつけた学名で発表した。太平洋戦争へ突き進んだ1941年のことだった。科学博物館で開催中の企画展をのぞくと、博士愛用のリュックサックがあった。岐阜や和歌山など各地で化石が入った泥を採集しては背負った。「闇米を運んでいるのではと警察から呼び止められたこともあったそうです」と矢部淳(あつし)研究主幹(50)は話す。当時の学界では、絶滅した植物と信じられていた。ところが三木博士の論文発表から5年後、中国の奥地で生きているメタセコイアが確認された。現地の呼び名は「水杉」。米国の専門家が種を譲り受けて日本に100本の苗木を贈った。戦中戦後の混乱期にも続いた日中米の研究者の助け合いが実を結んだ。筆者が通った愛知県内の高校にもメタセコイアがあった。4階建て校舎をしのぐ背丈。入学した日には輝く緑の葉に心が弾み、秋には目を射る褐色の葉に威厳を感じた。科学博物館のメタセコイアは葉を落とし、まだまだ冬の装い。この物静かな哲学者のような木も、中国奥地で「再発見」された1本の子孫かと思いをはせた。