引き続き、論文とプレゼンのテーマを考え中メモ。
なんとなく、こうやって気になることを書き出してみると、
「アイディアはどこからくるのか」という内容になるのかな。
あまり堅苦しい建築論とか、説教くさい批評をしたくないので、
わかりやすい事例を示しながら書きたいのですが、
同時に、専門性の砂に足をとられずに前に進むのには、
テクニックが必要だということに気がつかされます。
先日メモした リサ・ランドールさんの本 そういう意味でもすごいなぁ。と思います。
ポストモダンが退潮した理由が、
それに従った多くの建築に引用した歴史的な装飾が強引であり、
そこに必然性がなかったからだとすると。
僕にとって、いいデザインとは「必然性」に答えているかどうかなのだろうなと思う。
では、その必然性がどこからくるのか、どこから来るべきなのか。
そのことについて、建築の分野に限らず、まとめられたらいいなと思います。
結果的にそれが自分のデザインのスタンスである、
“behind the skin”と通じるとそのまま卒業制作につなげられる。という作戦。
形態は機能に従う (Form follows function)、過ぎたるは及ばざるがごとし (Less is more)
非装飾と普遍性を求める、モダニズム建築 (Modernism Architecture)
その反作用として産まれ、
装飾や象徴性の回復を唱えた、ポストモダニズム建築 (Postmodern architecture)
ポストモダンが退いた後、現代においても、
ひとつの潮流として世界中の建築をつくっている
ポストモダン建築の一派、脱構築主義建築 (Deconstruction)
モダニズム
ル・コルビュジエ
ミース・ファン・デル・ローエ
フランク・ロイド・ライト
前川國男、丹下健三
ポストモダン
母の家(ロバート・ヴェンチューリ)
AT&Tビル(フィリップ・ジョンソン)
M2(隈研吾)現東京メモリードホール
江戸東京博物館(菊竹清訓)
JR京都駅(原広司)
脱構築主義建築
バーナード・チュミ(Bernard Tschumi)
フランク・ゲーリー(Frank Gehry)
ザハ・ハディッド(Zaha Hadid)
レム・コールハース(Rem Koolhaas)
ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind)
> 建築における脱構築主義(Deconstructivism、Deconstruction、
> デコンストラクティビズム、デコンストラクション)とは、ポストモダン建築の一派であり、
> 1980年代後半以降、2000年代に至るまで世界の建築界を席巻している。
> 脱構築主義の建築家の多くは実際の設計には恵まれず、
> もっぱら建築思想家として、また建つことのない
> 建築のイメージを描いたドローイングで有名であったが(例:ダニエル・リベスキンド)、
> 後述するMOMAによる『脱構築主義者の建築』展のあと、
> 1990年代以降は各地で実際の建築を設計するようになっている。
> ポストモダンの退潮後、モダニズム建築が復権するかたわら、
> 脱構築主義は各国でのコンペに勝利することで、
> スタジアムや超高層ビルなどより広い活躍の場を得るようになっている。
概要
> この様式で建てられた建築の最終的な外観は、
> 伝統的な建築様式ともモダニズム建築の箱型とも違う、
> アンバランスで予測不可能かつ刺激的なもので、
> ひねられたりずらされたり傾けられたりと、
> コントロールされた混沌とでもいうべき様相を呈する。
批判
> 脱構築主義に対する批判には、社会に対する意義のない、
> 単なる形態の実験に過ぎないといったものがある。
> 磯崎新はザハ・ハディッドをコンペで発掘するなどこうした
> 建築家の評価に大きく関わってきたが、
> デザインの目先の斬新さを競うことに対して懐疑的であり、
> 阪神・淡路大震災以降は「破壊された建物を見た衝撃のあとでは、
> デコンストラクションというファッションは終わったと言わざるを得ない」と批判している。
参考:
レムの原点・チュミの原点今村創平 [Link]
ベルナール・チュミ 「ラ・ヴィレット公園」 井戸健治 [Link]
脱構築主義建築 – Wikipedia [Link]
モダニズム建築 – Wikipedia [Link]
ポストモダン建築 – Wikipedia [Link]
JDN /JDNリポート /深澤直人×原研哉 デザイン漬け [Link]
ザハ・ハディッド – Wikipedia [Link]
ミース・ファン・デル・ローエ – Wikipedia [Link]
ル・コルビュジエ – Wikipedia [Link]
ロバート・ヴェンチューリ – Wikipedia [Link]
コメントを残す