国立代々木競技場と「船の体育館」

1964年、東京オリンピックのために建設された国立代々木競技場。丹下健三を代表する建築であり、その最大の特徴は、柱をほとんど使わず、巨大な屋根をケーブルで吊る「吊り屋根構造」です。第一体育館では、2本の巨大な主柱からケーブルを張り渡し、そのケーブルから屋根を吊り下げています。屋根の中央が大きく沈み込み、外側へ向かって力強く反り上がる。その姿は、建築というよりも巨大な橋や船を思わせます。

そして、同じ1964年に高松で完成したのが、旧香川県立体育館、通称「船の体育館」。こちらも丹下健三の設計で、構造設計を担ったのは構造家・岡本剛です。代々木の構造設計を担ったのは坪井善勝(つぼい よしかつ / 1907-1990)。高松では岡本剛(おかも とつよし / 1915-1994)。二人の構造家が、丹下健三の描く巨大な無柱空間を、それぞれ異なる方法で実現しました。

興味深いのは、香川県高松市の「船の体育館」が、かつて塩田だった土地に建っていること。軟弱な地盤、体育館に必要な大空間、吊り屋根という新しい構造技術。そして瀬戸内海という土地の風景。そうした条件が重なり、高松では「船」のような建築が生まれました。東京の代々木と、高松の船。どちらも1964年という日本の高度成長期に生まれた、建築と構造が一体となった実験です。「船の体育館」を考えるとき、国立代々木競技場は、その背景にある日本の構造建築史を知るうえでも、とても重要な存在なのです。

Yoyogi National Stadium and the ‘Ship-shaped Gymnasium’

Yoyogi National Stadium was built for the 1964 Tokyo Olympic Games. It is one of Kenzo Tange’s most iconic architectural works, and its most distinctive feature is the ‘suspended roof structure’, in which the enormous roof is suspended by cables with virtually no use of columns. In the First Gymnasium, cables are stretched between two massive main columns, from which the roof is suspended. The centre of the roof dips deeply, whilst the edges curve powerfully upwards towards the outer edges. Its appearance is reminiscent not so much of a building as of a massive bridge or a ship.

Also completed in 1964, in Takamatsu, was the former Kagawa Prefectural Gymnasium, commonly known as the ‘Ship Gymnasium’. This too was designed by Kenzo Tange, with structural engineer Tsuyoshi Okamoto responsible for the structural design. The structural design for the Yoyogi venue was undertaken by Yoshikatsu Tsuboi (1907–1990), whilst in Takamatsu it was Tsuyoshi Okamoto (1915–1994). These two structural engineers each realised Kenzo Tange’s vision of a vast, column-free space using different methods.

What is particularly interesting is that the ‘Ship Gymnasium’ in Takamatsu stands on land that was once a salt field. The combination of soft ground, the vast space required for a gymnasium, the new structural technology of a suspended roof, and the landscape of the Seto Inland Sea—all these conditions converged to give rise to a building resembling a ‘ship’ in Takamatsu. The Yoyogi National Stadium in Tokyo and the ‘Ship Gymnasium’ in Takamatsu. Both are experiments in which architecture and structural engineering are seamlessly integrated, born in 1964 during Japan’s period of rapid economic growth. When considering the ‘Ship Gymnasium’, the Yoyogi National Stadium is of vital importance in understanding the history of Japanese structural architecture that forms its backdrop.

国立代々木競技場
住所:東京都渋谷区神南2-1-1 [Google Map]
建設: 1964年(昭和39年)
構造: 世界初の大規模な「吊り屋根構造」
指定: 国の重要文化財(建造物)2021年
設計:
 建設・総合意匠 丹下健三氏(東京大学助教授)
 構造 坪井善勝氏(東京大学教授)
 設備 井上宇市氏(早稲田大学教授)

Yoyogi National Stadium
Address: 2-1-1 Jinnan, Shibuya-ku, Tokyo [Google Map]
Built: 1964 (Shōwa 39)
Structure: The world’s first large-scale ‘suspended roof structure’
Designation: Important Cultural Property of Japan (Architectural Structure), 2021
Design:
 Construction and Overall Design: Kenzo Tange (Assistant Professor, University of Tokyo)
 Structural Engineering: Yoshikatsu Tsuboi (Professor, University of Tokyo)
 Services Engineering: Uichi Inoue (Professor, Waseda University)

2025/09/18


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2026/01/21

船の体育館(旧香川県立体育館)設計 丹下健三
【香川】丹下健三設計の旧香川県立体育館 – [Kagawa] Former Kagawa Prefectural Gymnasium | 物語を届けるしごと

国立代々木競技場の歴史詳細|JAPAN SPORT COUNCIL

1964年の東京オリンピックが開催されることに伴い、当時新装となった国立競技場で行われる陸上競技と並んで、わが国の有望な競技とされていた水泳を行う大水泳場の建設が必要とされました。また当初は、東京オリンピックで悲願の公式種目となった柔道も行えるような施設を目指し、2万人収容の「屋内総合競技場」を新設する計画が立てられたのです。昭和33(1958)年当時、屋内総合競技場建設用地として予定していた神宮外苑内の新宿御苑(旧近衛兵連隊跡)は多くの問題があったため、文部省をはじめオリンピック組織委員会による用地探しが始まります。

当時、東京都内の広大な利便性のある土地は、ほとんど在日アメリカ軍に接収されており、特に広大な敷地を必要とする選手村の用地はアメリカ軍との交渉が必要でした。そのような状況の中、昭和34(1959)年の東京オリンピック招致決定から、用地選定は紆余曲折しながら約2年間のアメリカとの交渉の末、昭和36(1961)年10月にようやく現在の代々木公園、青少年センター、NHK、織田フィールド等の施設のある「ワシントンハイツ」に、選手村と屋内総合競技場が建設されることに決定しました。            

~屋内総合競技場建設の基本構想~

 屋内総合競技場の建設にあたっては、文部大臣裁定による「ワシントンハイツ屋内総合競技場建設協議会」が設けられ、同競技場の基本構想について諮問を受け、検討が着々と進められました。昭和36(1961)年7月20日、同協議会は13回の分科会と5回の総会によって得られた結論を第一次答申にまとめ、文部大臣に提出し、施設の規模について次のように謳われました。

1 国際的水準にふさわしい建物を建設すること。
2 本館のほか付属体育館を建設すること。
3 本館の水泳場は、競技プール(50メートル)および飛込プールとする。
4 本館の観覧席は15,500~17,000人とする。
5 付属体育館はバスケットボールコート1面とする。
6 付属体育館の観覧席は3,500~3,800人とする。

 文部省はこの基本構想に基づき昭和37年度予算要求することと平行して、屋内総合競技場建設の実際的な「基本設計」「実施設計」を行う設計者を、新たに設置した「建設設計者選考委員会」で選定し、以下の方々が設計担当者として文部大臣から委嘱されました。

(建設・総合意匠)  丹下健三氏(東京大学助教授)
(構造)         坪井善勝氏(東京大学教授)
(設備)         井上宇市氏(早稲田大学教授)

日本建築界の代表3氏による基本設計は、後に世界に例のない雄大華麗な共同作品をつくりあげることとなります。

~いよいよ建設へ~
 昭和37(1962)年文部省では、「基本設計」「実施設計」を前出の設計者3氏に依頼します。3氏による実施設計は、平行して行われた地質調査とともに順次具体化されていきましたが、その内容はかつて前例のない「高張力による吊り屋根方式」という極めて複雑な構造を持った建物であり、施工上最高度の技術を必要とするものでした。外観も、スポーツ精神を象徴し、集まる人々が誘い込まれるような優美な曲線をもった颯爽たるものでした。
 しかし、地質調査の結果、建設用地の地下に激しい湧水があることが確認され、その対策にかかる費用が新たな問題となったこと、また入札が大会まであと20ヶ月と迫ったところで指名大手5社(大成建設・大林組・鹿島建設・竹中工務店・清水建設)により行われましたが、多くの制約下での入札は難航し、当日は落札できず翌日ようやく次のように契約が成立したのです。

本館(第一体育館)・・・清水建設株式会社
別館(第二体育館)・・・株式会社大林組

昭和38(1963)年2月1日、建設工事は開始されました。工期は、オリンピック大会を控えた18ヶ月という絶対に延ばすことは許されない期間。当時の状況としてはこの工事を18ヶ月で完成することは常識的にみて不可能とされていました。昭和39(1964)年5月、来日したIOCアベリー・ブランデージ会長はこの工事現場を視察して「アメリカ人がやるのなら絶対に間に合わないと思うが、私は日本人の能力を信じている」と言い残して日本を去りました。施工にあたっては、誰もが経験したことのない数多くの問題に遭遇しながらも、先の3氏を中心に実験・研究・確認を繰り返しながらあらゆる新鋭機器を動員して、建築界の全知能を傾けての工事となりました。7月に入ってからは工事はいよいよ24時間態勢の突貫工事に入り、まさに戦いを控えて完成を急ぐ築城工事を彷彿させるものがありました。施工者、設計者、監理者その他多くの作業員の一体となっての挺身努力により、日に日にその雄大な姿を形づくっていったのです。

ついに昭和39(1964)年8月31日、オリンピック大会まで39日を残して完成しました。当時では世界に類のない高張力による吊り屋根方式で、明治神宮の森の美しい環境を生かした高い芸術性を保つ、日本を代表する建造物が誕生したのです。同年9月1日、同競技場は特殊法人国立競技場に政府出資され、「国立競技場代々木競技場」としての第一歩が踏み出されました。第一体育館建設風景の内部写真 完成した代々木競技場(昭和40年頃)の写真

建設当時、世界でもまだ例の少なかった「吊り屋根方式」を用いて建設された競技場。一体的な巨大空間を、観客と競技者とが共有でき、1万5千人の観客の流動が機能的にも心理的にも円滑に行われる空間を、設計者である丹下健三氏が探求した結果、この「吊り屋根方式」に行き着きました。第一体育館の吊り屋根は、大きな2本の支柱の間に全長280メートルのメインケーブル2本が渡され、屋根を支えています。さらに両端は地中へと伸び、屋根を引っ張り上げ、そのメインケーブルに梁を渡して鋼板を張っています。第二体育館も、1本の支柱から螺旋状形に吊りパイプが架けられ、屋根面が吊り渡されています。

また、第一体育館のメインケーブルは、いくつものワイヤーロープの集合体で、アンカーブロック(巨大なコンクリートの塊)で支えられており、このケーブルを土とアンカーブロックの重量で抑え込んでいます。吊り材には、あらかじめ成型した鉄骨を使用し、当時の吊り構造の技術では成し得なかった屋根曲線を作り出しました。こうして出来上がった第一体育館の屋根は、まるで瓦屋根の大棟(おおむね)と鴟尾(しび)のようであり、スタンド外壁は格子を思わせるデザインとなっていることなど、日本の造形美を表現した建築として、国内外から高い評価を得ることになります。