美術館の思想、着想、そして形 [Link]青森県立美術館 基本設計をめぐって



青森つながりでメモ。
 土の展示室 建築家 青木淳
 > 設計競技案のもっとも根幹にあるアイデアは、その断面構成に現われています。
 > 土が上向きに凸凹した地形をつくっています。
 > その上から下向きに凸凹の構造体が覆い被さっています。
 > 構造体のある部分は、土にまで達し、またある部分は土に達する手前で終わっています。
 > こういうことの結果、土の凸凹と構造体の凸凹との間に、隙間の空間が生まれています。
 > 私たちは、その隙間を展示室として使うことを提案しました。
 > 床は土です。壁も場所によってはまた土になるかもしれません。
 > 私たちは、そこを「土の展示室」と呼ぶことにしました。展示室は、構造体のなかにも設けられます。
 > そこは「ホワイトキューブの展示室」です。「土の展示室」と「ホワイトキューブの展示室」。
 > こうして、その対極的な二種類の展示室が、交互に現われる。
 > それが設計競技案の建築的な面での、もっとも大切な提案でした。
 > なぜ「土の展示室」を提案したのかと言えば、この美術館に隣接して三内丸山縄文遺跡があるからでした。
 > というと、話が逆、なのかもしれません。正確に言えば、まずそこに三内丸山縄文遺跡があったのです。
 > この遺跡は非常に重要な意味を持っていました。
 > それは、縄文時代に農耕や栽培が行なわれていたことを証拠だて、
 > それらの起源を弥生時代とする定説をみごとに覆したのです。
 > また、三内丸山では栗や稗が栽培されていたことがわかっています。
 > つまり縄文時代の人々は多品種の栽培と、海や山での狩猟など、
 > 自然の生態系と共存しながら生きる術(すべ)を知っていたのでした。
 > 縄文時代の農耕は、弥生時代の稲という一品種に片寄った農耕とは異なるものでした。
 > しかし、それは自然との共存という観点からすれば、
 > むしろ弥生時代の農耕よりも優れていると言ってもいい、という意見もあるくらいです。
 > 青森の人々にとって、そういう三内丸山縄文遺跡が精神的なシンボルになったことは、
 > 想像に難くありませんでした。実際、この遺跡があったからこそ、
 > そこに隣接する総合運動公園を文化の森として再整備することが決定されたのだと私たちは思っています。


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