阿波藩主、蜂須賀公へ献上されていた棚田米の農家さんのお話を聞きに、秋雨の佐那河内村(さなごうちそん)へ。鉄分を多く含む玄武岩土壌の赤土とマグネシウムなどを含む蛇紋岩、山の上にあった茅場の茅を肥えにして、夏でも冷たい谷の水、山間部特有の昼夜の温度差が美味しいお米を育んできました。安藝春喜さんのお話によると、江戸時代、徳島城への奉公にあがっていた佐那河内村の娘が、休暇で村に帰ってきた際、親から土産として佐那河内のお米を持たされました。城へ戻った娘がこの米を徳島城で振る舞ったところ、その味が評判となり、やがて蜂須賀公への献上米となったという言い伝えがあります。

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メモ。古文書や巻物に描かれた家系図。九平さんをとって丸に「九」の家紋。棚田の上に残された鎮守の森。長宗我部氏から逃れ高知からやってきたご先祖様が持ってきた薙刀。神社に祀られた八百万の神様、庚申さん(かのえさる)、おふなたさん(衝立船戸神/つきたつふなとのかみ)、おじじんさん(土地神様)。安芸家だけで行う祭り。田植えを始める時季に神様への感謝の気持ちを捧げるために行う作法。剣山の傾斜地農業にみられるコエグロ。自然や土地の神様と身近に寄り添い、1000年以上積み重ねられてきた佐那河内村の「農」の歴史を垣間見た気がします。