大三島(おおみしま)の大山祇(おおやまづみ)神社。祖神大山積大神を祀った小千命(おちのみこと)御手植えの楠があります。樹齢はなんとおよそ2600年。とても美しかったので写真で紹介したいと思います。大山祇神社には、「小千命御手植えの楠」以外にも、樹齢3000年、日本最古の楠「能因法師雨乞いの楠」などの楠郡があり、国指定天然記念物に指定されています。

There are beautiful camphor trees at Ōyamazumi Shrine, Oomi island, Seto Inland Sea. The trees were recognized as special national treasures. Ōyamazumi Shrine is located on the island of Omishima in the Seto Inland Sea. The shrine is dedicated to the gods who protect sailors and soldiers. Because of this, many daimyo and other military leaders have made offerings at the shrine in hopes of military success, or in thanks for victory in battle. I took photographs of beautiful camphor trees there.

大山祇神社
住所:愛媛県今治市大三島町宮浦3327 [Google Map]
電話:0897-82-0032

Oyamazumi Shrine
Address : 3327 Miyaura, Omishima island, Imabari city, Ehime pref., Japan [Google Map]
Tel : +81-897-82-0032

大山祇神社
住所:愛媛県今治市大三島町宮浦3327 [Google Map]
電話:0897-82-0032

Oyamazumi Shrine
Address : 3327 Miyaura, Omishima island, Imabari city, Ehime pref., Japan [Google Map]
Tel : +81-897-82-0032

Ōyamazumi Shrine – Wikipedia

Ōyamazumi Shrine (Ōyamazumi Jinja) is located on the island of Ōmishima in the Seto Inland Sea. The shrine is dedicated to the gods who protect sailors and soldiers. Because of this, many daimyōs and other military leaders have made offerings at the shrine in hopes of military success, or in thanks for victory in battle. The offerings of swords, armor, and other military equipment are now housed in the largest museum of fighting equipment used during the age of the samurai in Japan. There are items housed in the shrine which belonged to Tsuruhime, Tomoe Gozen, Minamoto no Yoritomo, founder of the Kamakura Bakufu and first shōgun, and to his younger brother, Minamoto no Yoshitsune.

The shrine is in a grove of camphor trees, the oldest of which are between 2,600 and 3,000 years old.

大山祇神社

大山祇神社は古来日本総鎮守として尊称され、大正の御代には四国唯一の国幣大社に列せられた。御本社御祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)。摂社【上津社-かみつやしろ】御祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)また姫神。摂社【下津社-しもつやしろ】御祭神は高靇神(たかおかみのかみ)また姫神。御本社と両摂社の三社を以て大山祇神社と崇めまつる信仰となっている。

大山祇神社本殿 国指定重要文化財
三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)。胡粉・丹塗り。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。

大山祇神社拝殿 国指定重要文化財
切妻造り(きりづまづくり)。素木。唐破風付き向拝。屋根檜皮葺き。室町初期に再建。

大山祇神社の歴史
大山祇神社社殿後方には【鷲ヶ頭山-わしがとうさん】【安神山-あんじんさん】【小見山-おみやま】の三山が見える。本殿が再建された頃作られたとされる大山祇神社古図(国指定重要文化財)には、御本社・上津社・下津社の神体山として描かれている。島内最高峰(436.5m)の鷲ヶ頭山は古くは神野山(ごうやさん)と呼ばれ、現在でも頂上西側一帯は神野の地名を残している。安神山は毎年1月7日の生土祭に用いる赤土を山麓にて拝戴する。小見山は「お宮の山」が変化したものとされ、いずれも大山祇神社との深い関係を伝えている。また、大山祇神社御本殿の御扉は内開きとなっており、通常外開きの様であることを考えると極めて珍しいものと言える。これは過去に社殿後方の三山を御神体として拝していた故に御扉を押し開く様にしたのではないかと推測される。
当宮の例祭日は旧暦の4月22日と定められているが、これは養老3年(719年)4月22日、現在の地(大三島町宮浦)に遷座された佳日によるものである。それ以前は大三島南東部にあたる瀬戸(上浦町瀬戸)に祀られていたとされる。当宮の記録によれば瀬戸の地の社は【横殿宮-よこどののみや】と呼ばれ、大山祇神社または三島宮とは呼ばれていない。何故「横殿」なのか。「横」には「わき」「かたわら」「そば」などの意がある。つまり「横殿」は、主体があって、その「わき」「かたわら」に建てられたものと考えられる。具体的には小千命(おちのみこと)によって勧請鎮祭された当時よりこの地、大三島宮浦に大山祇神社社殿があり、何らかの理由によって仮の社殿が建てられた。それが「横殿宮」ではなかろうか。これ以前の記録が残されていないため推測の域を出ないが、そう考えるのが極めて自然である。因みに、「横殿宮」即ち「瀬戸」の地からは、かつての神体山である三山を望むことはできない。

大山祇神社 – Wikipedia

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町にある神社。
全国の山祇神社や三島神社の多くの総本社とされる。

瀬戸内海の大三島に鎮座する。
国宝8件、国の重要文化財76件(2012年現在)を有し、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。 皇室からも厚く信奉されており、境内には昭和天皇の研究を展示した海事博物館が併設されている。

山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。近代においても、日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめとした、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。太平洋戦争の終戦直後の一時期には、旧帝国海軍関係の貴重な資料や教材を戦利品として連合国に没収されることを恐れた海軍兵学校から、厳島神社と合わせて約1万点を「奉納」の名目で預かり、後に日本が主権を回復して自衛隊が創設されると、自衛隊に返還した。現在でも、海上自衛隊、海上保安庁の幹部などが制服姿で参拝している。
この地に鎮座した由来として、大山祇神の子孫の乎千命(おちのみこと)がこの地に築いたとする説、伊豆国の三嶋大社(現 静岡県三島市)から分霊を招いたとする説、朝鮮半島から渡来した神であるとする説など諸説があるが、摂津国の三島江(現 大阪府高槻市)からこの地に移されたとするのが一般的である[要出典]。 いずれにしても、かなり古い時代から存在した神社であることは確かで、平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されている。
また、日本各地に一万社余りある山祇神社、三島神社の総本社とされるが、一部の三島神社(主に東国)については静岡県の三嶋大社の分社もある。また、三嶋大社自体を大山祇神社の分社とする説や、逆に大山祇神社の方が三嶋大社の分社とする説があり、まったく別の神社とする説もある。

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