なぜ、私が四国に来たのかについて、少し触れたいと思います。

私は、大学で都市計画やランドスケープ、建築設計の勉強をしておりました。大学1年生のときにはいった石川幹子先生の元で、東京を流れる都市河川の研究をしていました。皆さんは渋谷駅のヒカリエの目の前に川が流れているのをご存知でしょうか。

目の前とはいっても地下、暗渠(あんきょ)といって地下に見えないところに川が流れています。春の小川の舞台になった綺麗な小川が流れていたそうです。いまは、渋谷駅の東口から少しだけ南に行くと暗渠だった川が表に現れ、コンクリート護岸が顔を覗かせます。

五街道の拠点でもある日本橋にも川が流れていますが、上空を高架の高速道路が走っています。水運が盛んだった江戸時代には、日本橋は物流の拠点として、日本中からありとあらゆるものが集まり、賑わっていました。私は、そうした都市河川の利用の変遷の研究や、川の景観の設計をしておりました。

かつて美しい自然景観とともに生きていた都市の風景が大きく変わるのは、1964年の東京オリンピックの頃です。高速道路需要や、オリンピック選手村の下水を流すために、川にフタをして、上を道路に、下を下水路にしたのです。当時は短期間にそれを成し遂げたという功績が賞賛されます。プロジェクトXで特集されるくらいです。私たち、団塊のジュニアの世代はこうした経済成長の恩恵を受けて育ってきましたし、親やその前の世代が築いてきたいまの日本の基盤のうえで平和に暮らしていけていることに感謝もしています。


しかし、それでも私は大学の4年間と卒業してからの研究員としての2年間、ずっとモヤモヤしたものがありました。いま、暮らしているこの東京の風景には、僕らの次の世代、孫子に残したい美意識があるのだろうかと。

無いものねだりをするより、有るもの探しをするのが好きです。東京は楽しい。現代的なビルに囲まれ、アスファルトに覆われても、町を歩いていると、何百年、何千年前の人が生きた痕跡を見つけることができます。新しいものが、古いものの上に目まぐるしく重なっていきながら、新陳代謝していきます。その隙間から時間の澱のようなものを見つけられたとき、とても嬉しい気持ちが湧いてきます。東京を楽しむ切り口は無限にあるし、それはこれからも変わらないでしょう。

でも、高速道路に覆われた川の景観を前にした時、「これが日本の美しい景色だ」と自分の子どもに胸を張って言えるのだろうかと疑問がありました。そんなことを考えていたとき、ふと自分が中学生のころに英国で体験したある光景を思い出します。

中学生の時、単身赴任で英国に滞在していた父親に連れられ、コッツウォルズや湖水地方にある田舎の小さな村を車でめぐりました。ピーターラビットの里といわれる、川の流れる小さく美しい村です。ある村で、カメラで風景の写真を撮っていた時。村のおじいさんに話しかけられました。私のつたない英語で、会話した程度のほんの少しの時間です。おじいさんは、「この村気に入ったか?美しいだろう。この黄色いレンガをハニーブリック(ハチミツ色のレンガ)と呼ぶんだよ。」と教えてくれました。ただの黄土色のレンガです。それを、ハチミツ色のレンガと呼んでいる。その詩的な表現に子どもながら感心したのをいまでも覚えています。

この時のエピソードをふと大学を卒業するころに、思い出したのです。そして、就職活動ではなく、イギリスに留学することを決めました。いまから10年前、2004年の春のことです。

そこから、スーツケース一つもって観光ビザで単身ロンドンに行き、滞在先のホテルから、印刷した住宅情報を手に家を訪ね歩き、家を決めました。次は大学。ロンドン大学のバートレット校という建築学科に行きたかったので、直接校長先生にメールをします。たぶん、通常のルートではないですが、面白いやつだと思ってくれたのか、校長先生はあってくれて面接し、下手くそな英語で自分のポートフォリオを見せながら、自分がこれまでしてきたこと、大学で学びたいことを説明しました。英語の点数は当時足りていませんでしたが、面白いやつだと、入学させてくれました。そこから、のべで3年ロンドンを、拠点にヨーロッパ中を歩き回り、写真を撮って、話を聞いていました。思い出すといまとやってることは変わりません笑。運よく、生活費を稼げる仕事にも出会いました。

不思議なもので、日本を離れて暮らすと、より日本の良さがみえてきます。郵便はちゃんと届くし、電車は正確だし、味噌汁は美味しい。いつかは、家族のいる日本に帰りたいと自然に思っていました。

日本に帰った時、就職活動をしました。その時に、たまたま徳島県神山町のイン神山のディレクションをされていた働き方研究家の西村佳哲さんのTweetをみて、四国経済産業局が人を募集していることを知りました。

私が何かを決断する時にいつも考えているのは、「経験」です。自分をより豊かにしてくれるのは、お金ではなく他人との出会いの中で生まれる経験とそれによる感動しかないです。若いうちにしかできないことのうちに組織で働くということがあったので、想像もつかない行政組織でしたが、ここで3年以上は腰を据えたいと決意して四国に移住しました。日本語の通じる日本ですから、移住すること自体にはなんのためらいもありませんでした。何をするのにもままならない、ロンドンでの孤独と苦労の日々が、心をたくましくしてくれていたのだと、その時に実感しました。

そうして、2010年、四国に単身、移住してきました。島から島へ、島流しです。
(続きは、気が向いたら時間のある時に書きたいと思います。)