養殖繋がりで、四国新聞に香川の養殖技術向上に貢献された
田中小治郎さんの記事があったのでメモしておきます。

田中小治郎3月15日付・カキ養殖の父 | 香川のニュース | 四国新聞社

志度の友人からカキが送られてきた。これを見るといつも田中小治郎という名を思い出す。

 志度湾のマガキ養殖1 件を取材したのは十年以上も前。残る資料はわずかで、その中に彼の名があった。徳島県出身の農学博士。戦後すぐ県水産試験場の場長を務め、香川の養殖業の発展に大きな功績を残した人物だ。

 当時、話を聞いた漁師さんは、田中に口説かれて一九五〇年代にカキ養殖を始めた一人。捕った魚を市場に持って行けばすぐ金になるのに、「育てる漁業」の必要性を声高に説いて回る長靴履きの博士に面食らったという。

 新参者の養殖家に種ガキを売ってくれる業者は少なく、質のいい仙台の種ガキを仕入れるためには、一度広島を経由しなければならなかった。試験場をのぞきに行くと、田中はいつもの長靴姿で、熱心に種ガキの実験をしていたそうだ。

 そんな記事を書いて数年後、京都に住む息子の正躬さんから、田中の生涯をまとめた著書が送られてきた。“香川カキ養殖の父”だとばかり思っていたら、足跡はマガキだけにとどまらず、ノリ、タイ、淡水魚と、香川の水産養殖技術の向上に果たした役割は、驚くほど広く深い。

 著書には、そんな歩みとともに、国立水産場時代に場長との対立で冷遇され、地方に下る決心をしたこと、逆風の中でのひたむきな研究が、香川で多くの理解者を得て一気に花開いたことなどが、率直に書かれてあった。九十四歳で亡くなるまで、田中は香川の人たちへの感謝の言葉を口にしていたという。

 カキのシーズンも残すところわずか。不思議な縁に導かれた香川のマガキ養殖は、今年で六十年の節目を迎える。

参考:
3月15日付・カキ養殖の父 | 香川のニュース | 四国新聞社
香川県さぬき市志度町にありますカキ焼き専門店、カキ焼きわたなべ
hiroshima