気配をデザインし デザインを気配する

Posted on 4月 5, 2004 in メモ

気配をデザインし デザインを気配する [Link]

一人で汽車に乗っていると ふとここで降りてみたいと思う駅があり
なにげなく入った書店で目についた一冊の本に
惹かれて入手してしまうこともあります。
初めて紹介された友人の知り合いが着ているジャケットが
その本人のことなど何も知らないのに とても似合っているように思えたり
文章を読んでいるとその文中の言葉を知らないのに
およその意味の見当をつけていることもあります。
これらはわれわれがまだ知ってはいないことなのに
すでにわれわれが感じてしまったものです。これが「気配」です。
電話のベルが鳴ると そこに「人」を感じます。
朝のテレビをつけると アナウンサーの顔から「事件」を感じることがあります。
モーツァルトを演奏する直前のオーケストラの団員たちの音合わせには
すでに「魔笛」の気配が出ているし
イラクの街道を驀進する戦車群を映し出している
CNNの映像からは「壊滅」が放出されています。
鎌倉の禅寺からは「無」が
ケルンの寺院からは「救い」が見えるときがあります。
いったい「気配」とは何なのでしょうか。
自分が感じているのに 他人は感じていない気配もあります。
一度 じっくり考えてみたいことです。
今日の社会や生活の中で
いまわれわれは何を「気配」として感じているのでしょうか。
戦争の危機ですか 環境の汚染ですか 家族の絆ですか。
それとも国家の崩壊ですか
インターネットを走る情報量ですか 恋人の仕草ですか。
電子機器はどんな気配をわれわれにもたらし
虫たちの羽音はわれわれの日々に何を伝えているのでしょうか。
気配を感じとりにくいものもあるかもしれません。
たとえば「宇宙」は たとえば「毒薬」は たとえば「悲しみ」は
たとえば「懐かしさ」は どのような気配なのでしょうか。
気がつきにくい気配にも注目してみてください。
あるいは 常識的になりすぎた気配を塗り変えてみてください。
デザインとは その事物や品物の本体そのものの機能でもなく
またその使用目的そのものでもありません。
デザインはそれらを含んだ「気配」です。
デザインはすでに人々に一定の気配を与えているのです。
しかし もう気配を放たなくなったデザインもたくさんあれば
異なる気配に迷いこんだデザインもあります。
新たな気配が立ち上がってくるようなデザインをしてください。
そして 同意を求め 警告をし 共鳴を誘ってみてください。
松岡正剛 Seigo Matsuoka

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