日本独立 その光と影 ~吉田茂とサンフランシスコ講和条約~ [Link]NHK その時歴史が動いた

Posted on 8月 28, 2006 in メモ

前半、結構おもしろかった。後半は6日に放送予定です。
敗戦国としてアメリカから「寛大な講和」を引き出す一連の流れを紐解く。
交渉術の秘術がここにあるなとおもいました。
日本史、なかでも戦争ものは欠かさずみてしまいます。
 番組:NHK総合 その時歴史が動いた
 日時:2006年9月6日 (水) 22:00~22:43
 > 1945(昭20)年8月15日、終戦。
 > しかし、日本には「独立」のための“もうひとつの戦い”が残されていた。
 > その陣頭に立ったのが、吉田茂。吉田は、より犠牲の少ない条件で独立する「寛大な講和」を目指す。
 > 多額な賠償や領土割譲が強いられれば、日本は再生不能に陥るからだ。
 > 朝鮮戦争がぼっ発し、冷戦が激化するなか、日本を西側陣営に取り込みたいアメリカは、
 > 賠償請求などがない寛大な講和条件を提示。いよいよ吉田はアメリカとの直接交渉に挑む。
 > しかし、そこで米代表・ダレスに条件を突きつけられる。それは日本の「再軍備」要求だった。
 > 新憲法で戦争放棄をかかげた日本。
 > しかし、この要求をのまないと講和は頓挫する。葛藤の末、吉田は再軍備を密約。
 > これにより、講和の動きは一気に進展する。
 > 昭和26年9月4日、サンフランシスコ講和会議の幕が開く。
 > 不参加表明していたソ連と東欧諸国が加わり、会議では東西陣営が激しく衝突。
 > さらに、アジア諸国の日本に対する厳しい発言が相次ぐ。
 > しかし結果、52か国中49か国が調印し、条約は成立。日本は寛大な条件による「独立」を勝ち取った。
 > さらに同じ日、吉田は米軍基地に向かう。「日米安全保障条約」に調印するためだった。
 > 独立とともに、日本は「米軍駐留」「再軍備」という課題を背負うことになる。
 > シリーズ後編は、寛大な条件で独立を勝ち取るため、吉田が結んだ2つの条約の功罪を描く。

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